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| 当社では新聞広告並びにチラシ(3週間に1回程度)にて営業展開しております。現地には登
り旗・建物平面図サンプル等を設置しております。日曜日や祝日に見学者等が多いので営業しています。 |
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| 昭和46年8月 |
| 西東京興業株式会社として創業 まだもちろん東京都に西東京市は存在しなく、東京の西側(すなわち山梨 甲府)が発展す
る事を願い、設立しました。 |
| 昭和51年 |
| 山梨県住宅供給公社より、依頼を受け、現在の県営小瀬団地(約一万五千坪)の用地の取得し、現在の小瀬団地が完成しまし
た。また、新設甲府商業高校との間に現在のケヤキ通りを通過させ、当時の市立小瀬スポーツ公園までの連絡路がヤット完成し、やがては山梨国体の主会場にな
り、現在の小瀬公園(日本百名公園)の誕生に繋がりました。 |
| 昭和53年 |
| 最初の宅地分譲 現甲府商業高校の隣接する東側に4区画の分譲地を造成し、販売しました。 |
| 昭和54年 |
平和通りに甲斐信用組合城南支店【現県民信用組合】の用地買収を行い、現在地に県民信用組合城南支店が開設されました。
同年
山城小学校の南側に19区画の分譲地を造成し、販売しました。半年間で、前の4区画の価格に比べると倍近く高くなり、広告をしなくてもアッと言う間に完売
しました。坪単価12、3万の時代です。二月遅れくらいで分譲した甲府市小瀬町の全10区画もやはり、広告はせずに完売しました。 |
| 昭和55年 |
甲府商業高校東側に地権者の要望により、16区画の分譲地を造成、販売しました。即完売でした。価格は前段階では12、
3万でしたが17、8万以上になり、購入者が即日30万円で売却したと言う、うわさも聞き、正にバブルへの入口でした。よって、当分宅地分譲は凍結する事
に決めました。
の間 西東京興業は主に甲府バイパス住吉側道沿いにクロガネヤ、スーパーヤマトの店舗用地買収、斡旋、山梨県機会金属工業団地拡幅用地買収、斡旋など企業
用地の売買、斡旋を主として営業していました。
バブル経済について
バブル経済の中、土地が恐ろしく値上がりし、平和通りの上今井町沿いでも坪百万で購入した人もいたとか、JR甲府駅の近辺だと坪当たり600万とか、
1000万とかと言う話や売買が成立したと言うことです。平成元年当たりがバブルの最高値かもしれません。
※ 規制緩和(バブル経済後の不景気の中、時の小泉首相の案で甲府市【特例市】に限り、調整区域内でも一定の条件を満たした農地については市街化区域並み
の宅地分譲を認める)この条例【甲府市開発行為等に関する条例第16条】に基づき、過去には宅地分譲できなかった小瀬公園周辺に家が建ち、住めるようにな
りました。 |
| 平成16年 |
| 小瀬公園隣接地の宅地分譲開始 「小瀬パークタウン分譲地23区画」、他 |
| 平成17年 |
| 小瀬パークヒルズ分譲地19区画」、「サンヒルズ小瀬分譲地10区画」、他 |
| 平成18年 |
甲府市南部 「サウスカレッジタウン分譲地10区画」
ケヤキ通りに郊外型結婚式場用地企画、斡旋「オステルリー・ド・コートダルージュ」
笛吹市石和町「ピュアタウン分譲地8区画」、「朝井タウン分譲地5区画」、他
甲府市下小河原町分譲及び下小河原町消防詰め所用地斡旋 「中町郵便局前4区画」 |
| 平成19年 |
いまいタウン分譲地12区画」「南アルプス市富士ニュタウン分譲地10区画」
甲府市中町に山梨県産業廃棄物共同組合の「事務所」の用地を斡旋しました。 |
| 平成20年 |
| オギノキャロット東分譲地8区画」「いまいタウンU分譲地10区画」 |
| 平成21年 |
「大里甲府信金東分譲地5区画」「朝井タウンU分譲地12区画」分譲中
今後の予定は宅地分譲、開発を通じて、2025年リニアモーターカー開通による理想都市「山梨、甲府」を目指し、山梨、甲府が都内のベットタウンとなる事
に期待し、都市型生活と田舎暮らしのコラボレーション化に邁進し、より豊かな生活と緑多き環境の確保をめざし、顧客様のマイホーム建設にトータルサポート
いたします。 |
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